沿革

沿革

京都大学数学教室は、1897年の京都帝国大学の誕生と共に、理工科大学に設置された理学科における数学の2講座として始まりました。

1908年には理学科が分割されて数学科が独立し、その後、講座数は徐々に増加しましたが、第2次世界大戦後の1954年までほぼその形で続きました。戦後は1953年に新制大学院として数学専攻が設置されると共に、学外からも優秀な人材が新たに招かれて教室の人事が一新されました。今日まで続く数学教室の基礎はこの時期に築かれたと言えるでしょう。

1963年からは政府の科学技術振興政策に伴って数学教室も規模が大幅に拡大し、1967年には10.5講座体制となって、これが大学院の重点化まで続きました。

1994年の大学院重点化により、これまでの学部を主体とした小講座制から、相関数理、表現論代数構造論、多様体論、解析学、基礎数理の5つの大講座と、数理解析研究所の教員で構成される4つの協力講座からなる大学院理学研究科数学・数理解析専攻に再編され、その後、2003年度には14名の教員が総合人間学部と大学院人間・環境学研究科から移籍して、全学共通教育における数学科目の責任部局となって、現在に至っています。

数学教室は、設立当初は京都大学時計台の西側の建物に物理学教室と同居していましたが、室戸台風の直後の1934年11月に北部構内に新築された建物(現在の理学部3号館の南半分にあたります)に引っ越しました。

戦後になってその北側に地球物理学教室の建物が増築されましたが、1980年に地球物理学教室が別の建物に移転する際にその部分を接収した後は、数学教室の主要部分は現在まで3号館から移動していません。

この3号館の建物は戦前からの古風な趣を強く残していて、1983年封切の映画「南極物語」(出演:夏目雅子、高倉健、他)のロケにも使われましたが、その後、耐震強度不足と診断されて、2006年度に1年をかけて大規模な耐震補強が施されました。その機会にエレベータが設置されたり、それ以前は3階にあった図書室が1階と地階に移動するなど、内部の構造には大きな変化もありましたが、建物の外観がほとんど変わらずに残ったのは幸いでした。